アニメ「正解するカド」最終話を観た後の感想、考察と妄想(ネタバレ有り) / 世界観2=ゲーム内世界

世界観1の続きですが、すでに「正解するカド」の直接の解釈ではなく、むしろ続篇的な妄想です。しかし、ネタバレあります。

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アニメの世界は異方存在が造ったシミュレーション世界。それにより異方の超技術はかなり説明というか納得できそうでした。ただし、それでもいくつか違和感はありました。一見、視聴者の世界とほとんど同じような世界なので、かなり細かいところ、つまり、原子・素粒子あるいはもっと下のレベルからシミュレーションしているのだと考えられます。

しかし、真道のコピーが本物の真道とは異なる、とザシュニナが主張する場面が何度か繰り返されました。また、後半の「ドラマ」、特に、どんどんと人間的になるザシュニナ、逆に「非人間的」な真道たちのことを考えているうち、アニメの世界の人間は実は人間ではないのではないか、と思い出しました。もちろん、どんなアニメの中の人間でも、もともと現実の世界の人間ではありません。が、真道たちはある意味人工知能ではないか、みたいな。例えばある種、「ウエストワールド」のような人工知能やロボットが人間の役を演じている、というような。

そのような劇中劇、あるいはゲーム内世界があってそこで演じられているあるいは起こっているドラマ。この辺りのことはすでにTwitterのこのスレッドでも述べました。 ただし、そのような役を演じている役者が登場して、このようなゲーム内世界とか劇中劇に話を持ってきてしまうと、何でもできてしまう、ある意味、夢落ちのようなことになり、フィクションとしてますます批判されてしまう恐れがあります。しかし、別に正解するカドが続篇としてそのような展開をすべきだというわけでもないのですが、なんとなく納得しやすい感じがします。

何故なら、もともとこのアニメの世界は計算機内のシミュレーション世界なので、素粒子・原子レベルでのシミュレーションではなく、もっと大雑把に、計算機内で人工知能を使って、役とかキャラクターを造ってそれらが劇を演じている、あるいはゲームをしている、としてもそれまでのストーリーとある程度は馴染むような気がします。世界観2は、つまり正解するカドの宇宙は人工知能や人工生命と計算機内のゲームあるいは演劇で遊ぶ世界。

じゃあ、どういうパターンがありうるでしょうか?

  1. 役者はすべて人工知能。
  2. 異方存在は人間つまり役者で、アニメの人間はすべて人工知能。
  3. 役者・素人(ゲームプレーヤー)・人工知能が入り乱れ。
  4. キャラクターは実は人間(役者と素人)が一部演じていてもよくて、人間と人工知能のハイブリッドのようなも。
  5. すべて人間(アニメなら声優)。

まず、1.はドラマの新しいレイヤーができない。5.は今のアニメそのもの。

2.の場合は、異方とは実は人間の世界で、ゲーム開発研究所が世界シミュレーションゲームを試作中で、二人の所員(ザシュニナと沙羅花の中の人)がゲームのキャラ(真道)の取り合いを始めてしまった、というようなストーリー。ザシュニナの中の人はAR(Augmented Reality)を使って真道をゲーム内から研究所に連れてこようとし、沙羅花の中の人はVR(Virtual Reality)を使って、ゲーム内に入り込もうとします。アニメ最終話の後はゲーム開発研究所に続く、みたいな。このストーリーだと、脚本もゲーム内脚本用人工知能が自動生成する感じ。その脚本用人工知能の名前は「野崎まど2号」とかwwww。(野「﨑」じゃなくてねwwww)

3.と4.は役者、素人、人工知能が混ざっています。特に4.だと、ひとつのキャラを人工知能と人間の両方が協力して演じることに。そのあたりの例をTwitterに書きました。 人工知能を使っておじさんが女子中学生に変身する云々はともかく、現在のアニメでも声優と作画・CG作成などの複数のスタッフが共同で一つのキャラを作っているわけで、その延長線上の未来にありうるかもしれないゲーム・演劇・フィクションの新しい形が想像可能かもしれません。

ここまでくると、「正解するマド」の解釈・考察とかはどこかに行っちゃってますが、人工知能と人間のハイブリッドが役を演じるところまで、人工知能やVR/ARの技術が進むと、小説を含むフィクションや演劇の世界に革新をもたらすばかりでなく、心理療法や癒やしの方面にも活かされるようになるかもしれません。

アニメ「正解するカド」最終話を観た後の感想、考察と妄想(ネタバレ有り) / 世界観1

大きなテーマは何か?に続いて、世界観について。
最終話以外についてもネタバレあり。
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最初、ワムのようなエネルギー保存則を破る、つまり物理法則を無視し、さらに世界を軽々操作する超技術が続出したころから、アニメの世界は、計算機の中に作られた「シミュレーション世界」とか「箱庭世界」とか言われるものじゃないか、とうすうす思っていました。実際、この宇宙は異方存在が初期設定をして造ったものだ、とザシュニナから明かされました。上の図のように異方の中の計算機の中にこの(アニメの)宇宙がシミュレーションされている。異方存在はこの図の場合、計算機の外にいることになります。

逆にもし、異方存在も計算機の中だとすると、異方も計算機の中、ただし、このアニメの宇宙とは別のメモリというか別の領域で別のシミュレーションされているもの。<a href=”https://srad.jp/~sumiyaki/journal/612827/”>私は最初そう感じました。</a> この場合は、プログラムがブログラムを生成する、みたいなことになるのかも。ユキカがザシュニナを消滅させることを考えると、この設定のほうがやや納得しやすい気もします。他の宇宙を造ったり干渉したりできても、じつは異方も無数の宇宙と立場は同じということかもしれません。

これらの世界観でみていて分からなかったのは、

  • ザシュニナが真道や自分のコピーを造ってもそれは本物とは異なること。
  • 沙羅花と真道の子供であるユキカが何故ザシュニナより高次元なのか?
  • 細かいですが、隔絶空間で16年も空気・水・食料・排水などはどうなるのか?

ユキカの力は異方とこの宇宙が同列の存在だとすると、少し納得できました。水や食料などは飛行機がカド内に閉じ込められた時のように、超空間使って異方かどこかから持ってきてたりしているのかもしれません。

以上のような疑問とか、後半の「ドラマ」、特に、どんどんと人間的になるザシュニナ、逆に「非人間的」な真道たちのことを考えているうち、さらにこの世界観を進めて「世界観2」を考えましたが、それは別稿にて。

アニメ「正解するカド」最終話を観た後の感想、考察と妄想(ネタバレ有り) / 大きなテーマ==について修正

アニメ「正解するカド」最終話を観た後の感想、考察と妄想(ネタバレ有り) / 大きなテーマは何か?で、テーマの一つは技術的特異点(シンギュラリティ)だ、ということを記事にしましたが、シンギュラリティについての私の理解がある意味不十分だったため、複雑な解釈になっていたことが後から分かりました。もっと単純で素直な解釈が可能でした。以下ネタバレ少し。

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終わることのない人工知能の話IT
AIの弱点と「暴走」への恐怖(5/8ページ)
中島秀之(東京大学 特任教授)×松原仁(公立はこだて未来大学 教授) Part.2
2016.08.01

中島:もともと人間は、ちょっとした情報から結論を導く能力がたけている。それの裏をかくのがオチなんです。
――いわゆる「意外性」というやつですね。
中島:そう。「話がこうきたら、常識で考えれば、当然、こうなるだろう」と思っていたら、最後の最後に裏をかかれて、予想とはちがった結論が提示される。それが「オチ」になる。
記者:そうですね。
中島:しかし、「常識的には、こうだろう」と思えないAIには、読者の裏をかくも何もないわけです。

この辺読んで、「正解するカド」思い出して、にやりとしましたwww。さらに、

終わることのない人工知能の話IT
シンギュラリティで人類はどうなるのか(1/7ページ)
中島秀之(東京大学 特任教授)×松原仁(公立はこだて未来大学 教授) Part.3
2016.08.08

には、
『『シンギュラリティは近い』でカーツワイル氏が展開している理論の主旨は、「人間の生物的進化はあまり進まないが、そこをテクノロジーの進歩で超えよう」というもの。』
『「人類が生命を超越するとき」』
ということが書いてありました。

中島:その話をする前に確認しておきたいのは、最近「シンギュラリティ」という言葉が、もともとの意味とはちがった使われ方をしているということです。
――一般的には、2045年頃と予測されている「AIが人類の知能を超える時点」と考えられていると思うのですが?
中島:もともとは、そういう意味ではありません。
松原:そう。いろんな人がいろんな意味で使い始めちゃったけれど、もともとは、ちがう。
中島:2045年にシンギュラリティが起こるかどうかはわからないけど、「シンギュラリティ」の本来の意味は、人類の……AIじゃないですよ……人類の進化曲線が、無限大になるポイントを指す言葉で、「技術的特異点」と訳されます。たとえば、「y=1/x」で「x=0」になると「y」は無限大になる。そういう「特異点」を指す言葉で、平たく言えば「AIは人間を超える」というよりも「人間はAIと合体して、もっとすごくなる」という話。
松原:本来の意味は、そうですよね。
中島:「シンギュラリティ」の本来の意味を知るには、カーツワイル氏の『シンギュラリティは近い』を読むといいよね。
松原:最近、要約版も出ましたから。
中島:『シンギュラリティは近い』でカーツワイル氏が展開している理論の主旨は、「人間の生物的進化はあまり進まないが、そこをテクノロジーの進歩で超えよう」というもの。だから「When Humans Transcend Biology」というサブタイトルがついている。
松原:邦訳では「人類が生命を超越するとき」。

このことから、
カーツワイル氏 = 人類は技術により生命を超える
正解するカド = 人類は(新しい)生命により(異方の)技術=情報を超える
というように捉え直せるかも。
つまりカーツワイル氏のスローガンをひっくり返してみました、ってことかな。

まあ、情報を超えた、情報を超える、というのが、「魂」のようなことを意味しているのかもしれないけど。

アニメ「正解するカド」最終話を観た後の感想、考察と妄想(ネタバレ有り) / 大きなテーマは何か?

最初から最後まで次回を期待しながら、視聴後もいろいろ考察・妄想でき、とても楽しめました。どちらかというと、このアニメを土台として、いろいろ妄想できる、噛めば噛むほど味の出るスルメ、みたいなものでした。Amazonのプライムビデオでみたので、第0話も含めて最初の何回かは一気に、中盤からはほぼ定期的に一話ずつ最新の話を観ていました。以下、最終回だけでなく、全体に関わるネタバレがあります。最終回の前の9話〜11話を観た後の感想・妄想については、 sumiyakiの日記: 『正解するカド 』「第9話 ナノミスハイン」までの感想・妄想(ネタバレあり)に書きました。
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この記事のまとめ:
★正解するカドはシンギュラリティ(技術的特異点)がテーマの一つ。
★最初と最後がある意味で作品としての「特異点」となり、最終話後に視聴者をシンギュラリティが始まろうとする現在に着地させる。
★シンギュラリティの是非については中立的。

このアニメの大きなテーマはシンギュラリティ(技術的特異点)

シンギュラリティ(技術的特異点)とは

人工知能が人間の能力を超えることで起こる出来事。人類が人工知能と融合し、生物学的な思考速度の限界を超越することで、現在の人類からして、人類の進化速度が無限大に到達したように見える瞬間に到達すること。

とされています。現在の我々の世界では、人工知能や高性能計算機の発達により、2045年くらいに、人工知能が人間の能力を超える、つまりシンギュラリティに到達すると予想する人たちがいます。囲碁や将棋では、すでにソフトウェアが名人を含む人間に追いつき、追い越し、抜き去っています。そのような世界ではすでにシンギュラリティに到達し、その後の時代に入っているという人もいます。

本考察ではより広義に解釈して、
「科学技術の劇的・急速で飛躍的進歩」
を「シンギュラリティ」と呼ぶことにします。
まず、本アニメ前半、異方から来たカドが日本に出現し、ヤハクィザシュニナからワムなどの超技術がもたらされ、人類全体に大きな影響を与えます。これはまさに「シンギュラリティ」そのもの。なにしろ、いきなりもたらされ、世界に急速に拡散していくのだから、技術の進化速度はまさにほぼ無限。

しかし、エネルギー保存則をも無視するような、余りにも超越した技術なので、技術の暗部、つまり人類にとって害となる面もあるはず。そうした、人間側に起きるシンギュラリティとその後の世界、つまりポスト・シンギュラリティの世界と人類の姿は、国連と日本との関係の混乱など、部分的にしか表現されませんでした。

さらに後半から、急速な技術の導入について疑問が徭 沙羅花から提示され、ザシュニナの目的が人類を異方に連れて行くことであり、人類にとって大きな危機となることが明らかになって、交渉役たち(真道幸路朗と沙羅花)がザシュニナの計画を阻止することになり、最終話で対決となりました。ザシュニナは地球に登場してから少しずつ人間の特性・日本の文化や人の心を学習していったことから、最終回ではかなり人間的感情の動きを見せ、視聴者を惹きつけます。これに対して、真道幸路朗と沙羅花の娘のユキカがその圧倒的な力でザシュニナを消滅させ、人類の危機は回避されます。このアニメ全体の最大の山場では、超越的な存在である異方存在を上回る力を短期間で獲得できた人類側が、逆にザシュニナを圧倒しました。

ここにも、立場が逆転してはいますが、異方存在にとって「シンギュラリティ」となっている、という構図になっています。事実、ユキカは自ら、「私は人類と異方存在の特異点、あなたより高次元の存在」とザシュニナに宣言しています。将棋ソフトの人工知能に敗れた将棋の名人を連想し、この構図は、まるで、
一般人 <<<< 将棋の名人 << 将棋ソフトの人工知能
アニメの中の人間 <<<< ザシュニナ <<<< ユキカ

のような感じがします。

結局、このアニメは「シンギュラリティ」という視点では最初から最後まで一貫していたと感じられました。

さらに、カドが出現した最初は別にして、このアニメの全体のストーリーを観てみると、最終話の最後に近づくに連れて、流れが加速していると感じました。これもシンギュラリティにおける技術的進歩の加速感を表していると私は思いました。まあ、起承転結の結だからそうなるのは当然かもしれませんが。これもある意味、特異点かも。

ザシュニナが消滅したあと、沙羅花から依頼されたユキカはザシュニナによってもたらされた異方の超技術を消滅させ、カドが訪れる前にリセットしました。まるで、このアニメでは、何も起きなかったかのようなこの終わり方は、視聴者の心と意識を現在に着地させ、これから起きるとされている実際の技術的特異点(シンギュラリティ)に目を向けさせるためではないでしょうか。実際、カドが出現するのは、2017年7月25日という設定です。あたかも現在すでに、シンギュラリティは始まっているのだと言いたげに。

「シンギュラリティ」に関する寓話としての「正解するカド」

以上のことから、このアニメは「シンギュラリティ」に関する寓話あるいは神話なのかもしれません。

それでは、シンギュラリティ(技術的特異点)に対して、このアニメは肯定的でしようか? それとも否定的でしょうか? これは、yesでもありnoでもある、むしろ中立というべきか。沙羅花は急加速的な進歩には否定的、真道はどちらかというと肯定的でした。超技術のもたらすバラ色の未来、のようなものは示唆されるものの実際には表現されませんでした。

実際のシンギュラリティについても、信奉派は
シンギュラリティ到来でエネルギー価格はゼロになる
齊藤元章氏はPEZY Computing代表。省エネのスパコンランキングで世界1-3位にランキング。
人類は不老不死になる(【Google】A.I業界の権威「レイ・カーツワイル氏」が語る人類の未来とは【シンギュラリティ】 )
などとすごい予測・預言に満ちています。当然、懐疑派も多く、例えば、
【NEE2017】シンギュラリティは来ない…東ロボくんの母・NIIセンター長 新井紀子教授
齊藤元章著「プレ・シンギュラリティ」を読んでの感想~微妙な読後感に
シンギュラリティ教徒への論駁の書 シンギュラリティは宗教だ!

アニメ「正解するカド」で、ザシュニナの超技術の提示がさらに進めば、不老不死の技術も登場したかもしれません。 異方が超大な計算能力持っていることがザシュニナから示されますが、次世代スパコン開発者の齊藤元章氏の著作「エクサスケールの衝撃」は2014年末には出版されていて、「正解するカド」のシナリオが完成したのが2015年末ということなので、脚本のアイデア作成に影響を受けているかも。もしかすると、人間を異方に連れて行くというのは、肉体を捨てて不死になる、ということ、つまり死ということなのかも。

このアニメの世界観についてはまた別稿にて。
シンギュラリティ以外にも本アニメのSF的テーマとしては、人類の生物的進化・性の問題、・文明的・文化的進化、創造説と進化説のような論点があり得ますが、またの機会に。